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函館地方裁判所 平成3年(ワ)48号 判決

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

理由

第一  請求原因1及び2の各事実は、当事者間に争いがない。

第二  本件医療事故の発生に至る経過等

一  《証拠略》及び当事者間に争いがない事実を総合すると、以下の事実が認められる。

1  原告は、昭和四四年九月と昭和四八年四月、いずれも自然分娩により各女子を出産した経産婦であり、本件医療事故当時四〇歳であった。

2  原告は、初診から被告病院で検診等を受け、特段の異常もなく臨月を迎えたが、妊娠第三九週である昭和六一年四月九日の午後四時三〇分ころ、破水を感じたため、被告病院に電話連絡し、被告病院の医師の指示に従い、同日午後五時三〇分ころ、被告病院に入院した。

3  原告の入院時に診察を担当した松浦医師は、クレゾールテストにより、前期破水を確認し、感染予防のため、同日午後六時五五分、抗生剤のマーキシン二グラムを生理食塩水一〇〇ミリリットルに加えたものの点滴静注を開始した。そして、同日午後七時三五分から午後八時一五分まで、児心音及び子宮収縮を分娩監視装置で確認したところ、児心音は正常で、子宮は少し緊張を始めているが、未だ陣痛には至っていないことが判った。

そこで、松浦医師は、破水があった場合自然に陣痛が発来することが多いので、朝まで自然に陣痛が発来するかどうか経過を見て、陣痛が発来しなければ陣痛促進剤を使うこととし、原告に対し、「このまま様子を見て、明朝まで分娩が進行しなければ、点滴で陣痛を誘発することになります。」と説明した。なお、この時、松浦医師は、原告に対し、陣痛促進剤の危険性について説明しなかった。

4  翌同月一〇日(以下、特に日付を記載しない場合はこの日を指す。)午前八時五〇分ころ、松浦医師は、原告において未だ有効な分娩に至る陣痛が発来していなかったことから、陣痛を誘発するため、原告に対し、陣痛促進剤の点滴静注を行った。

(一) 右陣痛促進剤の成分は、マルトース加乳酸リンゲル液(商品名ポタコールR)五〇〇ミリリットルにオキシトシン(商品名アトニン-O)二単位とプロスタグランディンF2α(商品名プロスタルモンF)二〇〇〇マイクログラムを加えたものであった。

(二) 一分間当たりの点滴の分量(点滴速度)は、開始時の午前八時五〇分ころ毎分一六滴、午前九時三〇分ころ毎分二四滴、午前一〇時一五分ころ毎分三二滴、午前一一時ころ毎分四〇滴と順次増量され、午後一時二〇分まで続けられた。

(三) 右点滴に際しては、原告の状態を監視するため、終始被告病院の助産婦が付き添っており、午前九時ころからは、鈴木助産婦がその任に当たっていた。点滴の増量は、陣痛が順調に発来するまで四〇滴まで増量する旨の松浦医師のメモによる指示に従ってなされたものであり、具体的にいつどれだけ増量するかは、鈴木助産婦の判断に委ねられており、実際、同助産婦は、計測した陣痛間欠や発作持続時間等を基に右各点滴の増量を行った。また、右点滴においては、自動点滴装置等の機械は使用されず、点滴量の調節は、助産婦が調節つまみを調整して行った。

5  松浦医師は、点滴開始と同時に、分娩監視装置を装着して児心音を確認し始めたが、この時の児心音は良好であった。

なお、原告は、分娩監視装置は当初から使用されていなかったと主張するが、《証拠略》によれば、午前八時五〇分から午前一〇時一五分まで両装置が装着されていたことが認められる。仮に、乙一の16の記載が、真実は装着していないのに装着したように改ざんされているとすれば、午前一〇時一五分に同装置を外したなどと殊更に記載するはずもなく、右記載は信用できる。そして、原告本人も装着されたかどうか記憶にないと供述するにとどまり、積極的に装着されなかったという明確な記憶が原告にあるわけでもないから、原告の前記主張は採用できない。

6  午前九時五〇分ころ、原告の子宮口の開大が一指であり、子宮頚管が硬い状態であったことから、松浦医師は、子宮頚管を開大させるとともに陣痛を促進するため、メトロイリンテルを子宮内に挿入し、その中に生理食塩水一〇〇ミリリットルを注入し、これに三〇〇グラムの重りを付け牽引した。

なお、原被告間において、メトロイリンテル挿入についての説明と承諾の有無及びその時期について争いがあるが、《証拠略》によれば、メトロイリンテルは、膣鏡で膣を開いて固定し、塚原式子宮膣部鉗子で外子宮口をつまみ、胎盤鉗子でメトロイリンテルをつまんで子宮頚管に挿入するという方法で挿入され、意識のはっきりしている妊婦に対し、その意に反して挿入できるものではないことが、また、《証拠略》によれば、松浦医師は、挿入前に原告に対し「処置をしますよ。」と言ったことが認められ、これらの事実に《証拠略》を総合すれば、松浦医師は、原告にメトロイリンテルを使用するに際し、原告に対し、メトロイリンテルを使用すること及びその目的について原告主張程度の一応の説明をし、その承諾を得たものと認めることができる。

7  午前一〇時一五分ころ、鈴木助産婦は、陣痛間欠、発作、児心音のいずれにも問題がなく、胎児が動くため児心音がとらえにくかったことから、独自の判断で分娩監視装置を取り外した。同装置を取り外す直前に児心音を聴取した結果によれば、胎児の心拍数は毎分一五〇ないし一六〇であり、陣痛間欠は一分三〇秒ないし二分、発作持続時間は四〇秒(鈴木助産婦の計測による。以下、陣痛間欠、発作持続時間、胎児心拍数は同助産婦の計測による。)であって、特に異常はなく、有効な陣痛が来ているものと判断された。

8  午前一一時ころ、原告は、強い痛みを訴えた。そこで、鈴木助産婦は陣痛間欠、発作持続時間、児心音を調べたが、陣痛間欠は一分三〇秒ないし二分、発作持続時間は三五ないし四〇秒、児心音は「一二オール(三回続けて胎児の心拍数を計測したところ、全て五秒間に一二回であったという意味。)」でいずれも正常であった。その後は、午前一一時四〇分ころ、子宮口の開大が五センチメートル、陣痛間欠一分三〇秒ないし二分、発作持続時間四〇秒であり、午後〇時三〇分ころ、陣痛間欠一分三〇秒、発作持続時間四〇秒であり、児心音はいずれの時点でも正常であった。

9  午後〇時四〇分ころ、原告にいきみが見られるようになった。このころ、子宮口開大が六ないし七センチメートルになり、メトロイリンテルが自然に子宮内から抜け、これを鈴木助産婦が膣内から取り出した。

10(一)  午後一時ころ、原告が強い痛みを訴えたが、この時点での子宮口開大は六ないし七センチメートル、陣痛間欠は一分ないし一分三〇秒(乙一の16のこの記載が改ざんされたものとは認められないことは後述する。)、児心音は「一二オール」であって、異常はなかった。

原告は、前のお産のときより強い痛みだと訴えたが、鈴木助産婦は、通常の分娩の陣痛と考えて、「前のお産のときの痛みを忘れたの。」、「もうちょっと頑張りなさい。」などと励ますのみであった。

(二)  なお、原告は、午後一時に過強陣痛があったと主張する。しかしながら、証人滝沢憲によれば、過強陣痛は陣痛と陣痛との間の間欠がないこと、陣痛の間欠時にも児心音が回復しないことの二点において通常の陣痛とは異なる特徴を持つことが認められるところ、右(一)で認定した事実によれば、午後一時の時点では、陣痛の間欠に特段の異常はなく、児心音も正常に聞こえていたことが認められるから、午後一時ころには、原告に過強陣痛はなかったものと認められ、これに反する原告本人の供述は、右認定にそぐわないものであり、また、原告がこの時点で物理的、精神的に時間を確知することが可能であったか疑問であるから、採用することができない。

11  午後一時二〇分より少し前ころ、原告が特に激しい痛みを訴え、顔面蒼白になり、児心音が聴取できなくなった。そこで、鈴木助産婦は、常位胎盤早期剥離を疑い、直ちに原告に酸素マスクを付けて母体の血液の酸素濃度を高め、松浦医師に連絡し、血管を確保し、剃毛する等の手術準備をした上、午後一時二三分、原告を手術室に運んだ。

なお、乙一の16の看護記録の記載によれば、原告に異常事態が発生したのは午後一時二〇分とされ、原告が手術室に運び出されたのは午後一時二三分とされているが、そうすると、わずか三分間で剃毛等の手術準備をしたことになり、原告の指摘のとおり確かに不自然である。ところで、《証拠略》によれば、午後一時二五分から麻酔がされ、午後一時三五分に手術が始まっていることが認められることから、原告を手術室に運び出したのが午後一時二三分であったことは確かなものと認めることができる。したがって、原告に異常事態が発生したのが午後一時二〇分とする記載の方が不正確であると解するほかない。そして、前記10(一)で認定したとおり、午後一時に原告が強い痛みを訴え、児心音等の確認がされていること、《証拠略》によれば、この後しばらく痛みを訴える原告を鈴木助産婦が励ますなどして一定の時間が過ぎていることが認められること、《証拠略》によれば、同看護記録における時刻の記載は、若干の例外を除いて一〇分単位でしかなされておらず、必ずしもすべての記載が分単位の厳密な記載というわけではなく、しかも、午後一時二〇分の記載は、原告の異常事態への対応と手術室への搬出等が終わった後になされたものと推認されることからすると、原告に異常が発生したのは、午後一時以降でおおむね午後一時二〇分に近い時刻と認めるのが相当である。

12  松浦医師は、原告の状態を子宮破裂によるものと診断し、午後一時二五分からケタラールの静脈麻酔剤を使用し始め、午後一時三〇分から気管内挿管して全身麻酔に切り替え、午後一時三五分から帝王切開手術を開始した。開腹したところ、左卵管角と円靭帯から内子宮口の方向に約一五センチメートルにわたって子宮本体が裂けており、胎児が胎盤とともに腹腔内に飛び出している状態であった。松浦医師は、午後一時四三分、胎児を娩出してこれを小児科医師に渡し、次いで、原告の子宮と左卵巣を付属器も含めて摘出した。

13  手術は午後三時五分まで続けられたが、この間の総出血量は一〇五〇ミリリットルであった。手術当日の血液の凝固線溶検査の結果では、血液一ミリリットル中のFDP(フィブリンの分解産物)の量が八〇マイクログラムで、DIC(血管内血液凝固症候群)を発症する危険性があったが、翌同月一一日の検査結果では、血液一ミリリットル中のFDPの量が二〇マイクログラムに下がり、危険状態を脱した。原告は、同月二九日、被告病院を退院した。

14  新生児は、出生一分後のアプガールスコアが二点で、非常に重篤な仮死状態にあり、小児科医師による治療の結果、出生五分後のアプガールスコアは七点になったが、啼泣が聞かれなかったため、未熟児室に移された。しかし、その後危機を脱し、同年五月一〇日、被告病院を退院し、現在まで格別の異常はない。

二  ところで、原告は、乙一の12(手術室看護記録)、16(看護記録)の記載について、種々の不審な点があり、改ざんがなされた可能性がある旨主張し、その該当箇所を逐一指摘する。

確かに、例えば、乙一の16(看護記録)の四月一〇日午後一時の欄において、「間欠1’30”~1’」は、明らかに上(「CX6~7cm」)下(「KHT12all」)各行の記載がされた後、その間の線上に加筆されたものであり、また、大きい数値から小さい数値に「~」がわたっている記載例は他にない上、他の記載例では「間欠」が必ず「発作」と組になって記載されているのに、ここだけは「発作」の記載がないことが認められ、この部分の記載は不自然である。この点、証人鈴木良子は、午後一時の二行の記載を終えた直後間欠の記載を忘れていたことに気付き書き加えたと弁明するが、次の午後一時二〇分の記載をする前に加筆したのであれば、午前一一時四〇分の記載がそうであるように、午後一時の二行の記載の次の行に記入するはずであって、右弁明はにわかに信用し難い。したがって、午後一時の欄の「間欠1’30”~1’」は、少なくとも午後一時二〇分の記載がされた後に加筆されたものと推認される。

そして、原告に激痛(原告主張の過強陣痛)が起こったのが午後一時ころであると主張する原告にとっては、被告が右加筆によって原告の右激痛が起こった時刻を故意に遅らせ、もって、責任逃れをしようとしていると不信感を募らせるのも、理解できないことではない。

しかしながら、児心音の正常を示す「KHT12all」の記載には改ざんの跡が認められないところ、前記一10の認定事実によれば、これも原告の主張する過強陣痛を否定する大きな要素であって、その上に間欠の正常のみを書き込んでもあまり意味はないと思われること、真に改ざんを企図するなら、数字が大きい方から書かれており、発作持続時間が記載されていない等の不自然な記載を敢えてするとは考えにくいこと、苦痛を強く訴える原告を励ましたり点滴の滴数を確認したりという状態の中で、たまたま測定結果を書き漏らし、午後一時二〇分以後に加筆したに過ぎないと解する余地もあること等からすると、右加筆をもって、意図的な改ざんと断定することはできない。

なお、その他の原告指摘箇所の多くは、被告の反論ないし弁明によって合理的な説明がされており、原告指摘箇所の改ざんの実効性の点から考えても、改ざんがあったと断定することはできない。

第三  松浦医師の過失について

前記第二の一で認定した事実に基づいて、以下、松浦医師の過失の有無を検討する。

一  陣痛促進剤の使用方法についての過失

1  子宮頚管の未成熟という点について

(一) 《証拠略》によれば、子宮頚管が未熟な状態で陣痛誘発を行うと、いわば入口を閉鎖した風船を圧迫するような具合になり、時に胎児仮死や子宮破裂を起こす危険性も考えられるから、陣痛促進剤を使用するに当たっては、子宮頚管が成熟していることが望ましく、ビショップスコアが九点以上の場合に成功率が高いことが認められるところ、前記第二の一6の認定事実及び鑑定によれば、午前九時五〇分の段階では、原告の子宮口の開大は一指で、子宮頚管は硬く、ビショップスコアは二点前後であり、原告の子宮頚管は、経産婦としても陣痛誘発に適するほどに十分成熟していたとは認め難い状態であったことが認められる。

(二) しかしながら、《証拠略》によれば、前期破水後に自然陣痛が発来しない場合には、母体及び胎児に体内感染の危険性があり、右危険性は前期破水後八ないし一二時間を境に上昇すること、したがって、たとえ子宮頚管が未成熟であっても、体内感染の予防のためには、子宮頚管を成熟させる作用を有するメトロイリンテルなどを併用しながら早期に陣痛を誘発する方がよいこと、従来はこのような場合、二四時間待って陣痛促進剤を使用するのが一般的であったが、昭和五〇年代初めから陣痛促進剤としてオキシトシンより効果のあるプロスタグランディンが市場に出回るようになり、昭和五〇年代半ばからは一二時間待った後に陣痛誘発するのが一般的になったことが認められ、かつ、前記第二の一2ないし4の認定事実によれば、原告は、昭和六一年四月九日午後四時三〇分ころ前期破水を起こし、翌日の同月一〇日午前八時五〇分には、前期破水後一六時間以上経過していたのに自然陣痛が発来していなかったことが認められる。

(三) 以上からすると、原告に対し、メトロイリンテルを併用して子宮頚管の成熟促進を図りながら陣痛促進剤を使用した松浦医師の措置に誤りはなく、この点について、松浦医師に過失があったものということはできない。

2  オキシトシン及びプロスタグランディンF2αの同時併用並びに投与量の加重という点について

(一) 松浦医師が原告に対し、陣痛促進剤であるオキシトシン及びプロスタグランディンF2αの同時併用投与(以下単に「同時併用」という。)をしたこと、右投与量が当初一分間一六滴から始まり、一分間四〇滴まで増量されたことは、当事者間に争いがない。

(二) 《証拠略》によれば、同時併用には両剤の相乗効果のために過強陣痛を起こす等の危険性があり、そのため、平成四年から産婦人科臨床医の団体においてその禁止が指導されるようになったこと、一般に陣痛促進剤を単独で用いる場合の当初の投与量は、オキシトシンの場合は一分間に三ミリ単位、プロスタグランディンF2αの場合は一分間に三マイクログラムが相当とされているが、本件においては、両剤を併用の上、一分間に一六滴(一分間にオキシトシンが三・三七ミリ単位、プロスタグランディンF2αが三・三七マイクログラムに相当)を投与しており、当初の投与量が多目であったことが認められる。

(三) しかし、《証拠略》によれば、本件医療事故が発生した昭和六一年当時においては、一部の専門家の間では同時併用の危険性が認識され始めていたものの、明確な禁止規定がなく、未だ一般の医師にはその危険性が認識されていなかったこと、昭和六〇年二月に社団法人日本母性保護医協会から刊行された「産婦人科医療のための望ましい留意事項(補遺)」によれば、当時、陣痛促進剤の投与方法について、五〇〇ミリリットルにオキシトシン五単位又はプロスタグランディンF2α三〇〇〇ガンマを入れて一分間に一〇ないし一五滴から始めることとされていたこと、当初の投与量につき少ない量で始めることとされているのは、陣痛促進剤の使用によって、最初の一時間が最も過強陣痛及び子宮破裂を起こす危険性が高いとされているからであることが認められる。ところで、前記第二、一5、7ないし11の認定事実によれば、過強陣痛及び子宮破裂の危険性がもっとも高い午前八時五〇分から午前一〇時一五分までの間は、分娩監視装置を装着し、同装置取り外し後は鈴木助産婦が付き添って、過強陣痛が起きないよう原告の状態を十分に監視しながら陣痛促進剤の投与がなされたことが認められる。

(四) 以上からすると、過強陣痛が起きないよう母体を監視しながら陣痛促進剤の投与がなされているのであるから、前記認定の投与方法及び投与量をもって、直ちに当時の医師としての注意義務に違反した投与と断ずることはできない。

なお、証人松浦敏章は、平成四年の時点においても、なお、同時併用が陣痛誘発のために最も有効な方法であり、一分間に一六滴という当初の投与量はむしろ少ない旨供述しているが、かかる見解は、証人滝沢憲及び鑑定に照らせば否定されざるを得ない。しかし、そうであるからといって、松浦医師が当時の医師としての注意義務に違反した投与をしたものと断ずることができないとの前記認定が左右されるものではない。

したがって、陣痛促進剤の投与方法及び投与量について、松浦医師に過失があったものということはできない。

3  監視体制の不十分という点について

(一) 陣痛促進剤を使用する場合、過強陣痛による子宮破裂の危険があるから、十分妊婦の状態を監視した上で行わなければならないこと、午前一〇時一五分ころ、鈴木助産婦の判断で分娩監視装置が取り外されたことは、当事者間に争いがない。

(二) 《証拠略》によれば、昭和六一年当時は、助産婦が一分間の点滴数を調節し監視していれば、自動点滴装置等を使用しなくても問題はなかったこと、現在では分娩誘発を行う場合には分娩監視装置を使用することが常識となっているが、昭和六一年当時は、装着性能が不良のため胎児や患者が身体を動かすと児心拍数や陣痛等を記録できなくなったり、患者が装着を嫌がったりすることもあり、分娩監視装置が使用されないこともあったこと、そのような場合には、助産婦等がそばについて患者の状態を慎重に観察している必要があるが、これがなされている限り分娩監視装置を使用しないことが不当とまではいえないことが認められる。

(三) 《証拠略》によれば、鈴木助産婦は、昭和五二年に助産婦の資格を取り、初めは慶応義塾大学病院産婦人科で、昭和五七年からは被告病院で、本件医療事故が発生するまで助産婦として勤務してきたものであり、相当の経験を有していること、被告病院においては、助産婦をマン・ツウ・マンで妊婦の監視に当たらせており、本件医療事故当日も、午前九時ころからは鈴木助産婦が原告の監視をマン・ツウ・マンで行っていたことが認められる。

(四) 以上(一)ないし(三)の認定事実及び前記第二、一4、5、7ないし11の認定事実からすると、助産婦の判断で分娩監視装置が途中で取り外されていること、鈴木助産婦は実際に過強陣痛の症例を経験したことがないことを考慮に入れても、原告に対する監視体制が違法とされるほどに不十分であったとは認められず、この点について、松浦医師に過失があったものということはできない。

二  メトロイリンテル使用についての過失

松浦医師が陣痛促進剤の投与開始後に原告の子宮内にメトロイリンテルを挿入したことは、当事者間に争いがないが、《証拠略》によれば、メトロイリンテルは子宮頚管を成熟させる作用と陣痛を誘発させる作用があることが認められ、右事実と前記第二、一6、第三、一1(二)の認定事実を総合すると、本件においては、陣痛促進剤の投与開始後においてもメトロイリンテルを使用する必要があったものと認められ、また、《証拠略》によれば、陣痛促進剤の投与開始後にメトロイリンテルを挿入することにより、特に過重な負担が加わることはないものと認められる。よって、メトロイリンテルの使用について、松浦医師に過失があったものということはできない。

三  子宮の保存的措置を取らなかった過失

1  松浦医師が子宮全摘出手術をしたことは当事者間に争いがない。

2  鑑定によれば、子宮破裂の場合は、子宮全摘出が原則的手術技法であるが、破裂部位が限局性で出血量が少なく、手術のための十分な準備がなされていれば、子宮保存を試みる可能性もあること、しかし、前記第二、一11、12で認定したとおり、左卵管角と円靭帯から内子宮口の方向に約一五センチメートルにわたり子宮本体が破裂している上、全部で一〇五〇ミリリットルという多量の出血が見られたという本件においては、子宮の保存的措置を取ることは困難な処置であり、これを取ることによって出血量を更に増大させ、DICを発症させる危険性を高めたものと考えられることが認められる。

3  以上からすると、松浦医師が原告の子宮全摘出手術を行ったことは、妥当な措置であったと認めることができ、この点について、松浦医師に過失があったものということはできない。

四  説明義務を尽くさなかった過失

1  陣痛促進剤の使用について

(一) 松浦医師が原告に対し、陣痛促進剤の使用に当たってその危険性を説明しなかったことは当事者間に争いがなく、前記第二、一3で認定したとおり、松浦医師の原告に対する説明は、「このまま様子を見て、明朝まで分娩が進行しなければ、点滴で陣痛を誘発することになります。」というものでしかなかった。

(二) 《証拠略》によれば、陣痛促進剤の使用に当たり患者に説明すべき事項は、第一に陣痛促進剤使用の適応(例えば、前期破水後一二時間以上陣痛が開始しないこと)、第二に陣痛促進剤使用によっても必ずしも全例で予定通り分娩に至るとは限らないこと、第三に時に過強陣痛が起きるので陣痛や胎児心拍を慎重に観察しなければならないことの三点であること、他方、陣痛促進剤の使用によって子宮破裂が起きることは通常は考え難いことであり、妊婦にほとんど危険性のない事項まで説明して過剰な不安や緊張を与えることは不適切であるから、陣痛促進剤の使用による子宮破裂の危険性についてまでは説明する必要がないことが認められる。

(三) 以上によれば、松浦医師は、原告に対し、陣痛促進剤の使用により過強陣痛が起きる可能性があることを説明しておらず、妊婦に過剰な不安や緊張を与えない必要があることを考慮しても、その説明は不十分であったというべきである。

(四) しかしながら、前記第二、一10で認定したとおり、午後一時ころには原告に過強陣痛は起きておらず、また、《証拠略》によれば、原告の子宮破裂は、子宮体部の破裂であって、この部位の破裂は、そこに何らかの弱点(子宮筋の裂け目など)がなければ発生することは考えられず、子宮体部に弱点がある場合には、陣痛促進剤を投与しなくとも陣痛が強くなることによって子宮体部の破裂に至るものであることが認められる。そうすると、原告の子宮破裂は、陣痛促進剤の使用による過強陣痛によって起きたものとは考えられず、陣痛促進剤の投与との間に因果関係はないことが認められるから、前記認定の松浦医師の原告に対する陣痛促進剤の使用についての説明が不十分であったことと原告の子宮破裂との間に因果関係があるものということはできない。

2  メトロイリンテルの使用について

松浦医師が原告に対し、メトロイリンテルの使用に際し、子宮口開大のためメトロイリンテルを使用する旨一応の説明をしてその承諾を得たこと、メトロイリンテル使用の必要性があったことは、前記第二、一6及び第三、二で認定したとおりであるから、松浦医師がした程度の説明をもって、説明義務違反となるほど不適切であったということはできず、この点について、松浦医師に過失があったものということはできない。

第四  以上のとおりであって、原告の本訴請求は、その余の点について検討するまでもなく理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 橋本昌純 裁判官 山本剛史 裁判官 上杉英司)

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